“地球見ながら刺身を食べたい”「月面養殖」への挑戦
2025年2月12日 11時52分宇宙
新鮮な魚や、とれたての野菜。
それらを将来、「月面」で食べられないか、研究者たちが真剣に議論している。
鍵を握るのが、「月面養殖」を可能にするという注目の技術だ。しかも、最適な魚の候補まで見つかっているという。
私たちはいつか、宇宙で新鮮なお刺身を食べられるようになるのか?
魚食文化の国、日本の記者として、気になる疑問を取材した。
(科学・文化部記者 加川直央)
万博も注目“アクアポニックス”とは?
宇宙でどうやって魚を養殖するのか。
ヒントになる展示物が、2025年4月に開幕する大阪・関西万博の会場にあるというので、まずは取材に向かった。
到着したのは「大阪ヘルスケアパビリオン」。その一角にある、直径7メートルのガラス張りの球体がひときわ目を引く。

「アクアポニックス」と呼ばれる生産システムの展示だ。
取材時は準備中のため中身は空だったが、開幕後は球体内の上部にリーフレタスやトマトなどの野菜のプランターが置かれ、土台部分に設けられた水槽には様々な種類の魚が泳ぐ予定だという。
「小さな地球の生態系を模して、1つの循環系を作る」
この展示を手がける、大阪公立大学植物工場研究センターの北宅善昭特任教授。長年、アクアポニックスを研究してきた。

アクアポニックスとは、水産養殖の「Aquaculture(アクアカルチャー)」と、水耕栽培の「Hydroponics(ハイドロポニックス)」を組み合わせた循環型の生産システムのことを指す。
1980年頃にアメリカで提唱された技術で、近年は環境負荷が低い食糧生産技術のひとつとして注目を集め、国内外のベンチャー企業などが活用に乗り出し、市場規模が拡大している。

北宅研究室のアクアポニックス
アクアポニックスの仕組みはこうだ。
魚が泳ぐ水槽には、排せつ物などによって魚や植物に有害な「アンモニア」が蓄積される。
しかし、水槽内には、アンモニアを「硝酸」という植物の肥料になる成分に分解するバクテリアも一緒に住み着いている。

この硝酸を含んだ水がポンプで汲み上げられ、設備の上部に設置されたプランターに給水される。
植物は水に含まれる硝酸を肥料として吸収し、浄化された水はふたたび下の水槽に戻っていく。
限られた水と肥料を循環させて持続可能な養殖と農業を実現するのが、アクアポニックスの強みだ。
北宅特任教授によると、浄化装置の代わりに植物を使うことで、魚にとっても植物にとってもお互いに利益を得るシステムになっているという。

北宅特任教授
「閉鎖された空間での食料生産。人の栄養をまかなうための食料生産ができるということでは、日本は先端的なシステムを開発している国の1つです。環境に負荷をかけない食料生産システムは、将来的な人類の繁栄のために重要になってくると思います」
アルテミス計画と食料生産
「資源を循環」させるという特徴を持つ、アクアポニックス。
その活用が期待されているのが、地球からおよそ38万キロ離れた場所、月だ。

人類がふたたび月を目指す国際月探査プロジェクト「アルテミス計画」。
アメリカのアポロ計画以来、およそ半世紀ぶりに、月面に宇宙飛行士を送り込む計画で、日本人宇宙飛行士2人による月面探査も予定されている。
この計画では、将来的に月面での長期滞在を想定している。その際には、宇宙飛行士のための食料の確保が重要になってくる。

国際宇宙ステーション滞在時に宇宙食のラーメンを食べる油井亀美也さん(2015年8月)
現在、地上約400キロの国際宇宙ステーションに長期滞在している宇宙飛行士は、宇宙船で地上から届けられた宇宙食を食べて生活しているが、宇宙への物資の輸送には大きなコストがかかっている。
地球から38万キロ離れた月となると、そのコストはさらに大きく、水1リットルを月まで運ぶのに1億円かかるという試算もあるほどだ。
そこでいま、アクアポニックスを活用し、月面で魚の養殖と野菜の栽培を行い、食料を“自給自足”しようという研究が進められている。
宇宙に最適 アクアポニックス

2024年12月、琉球大学である会合が開かれた。
集まったのは、JAXAが主催する「月面フードシステムワーキンググループ」のメンバー。
テーマは、月面でのアクアポニックスの実現。
この日は、月面で循環させる物質の総量をシミュレーションして議論していた。

東京海洋大学 遠藤雅人准教授
「カリウムは魚はあまり必要ないが、植物はかなり吸収するので足さなきゃいけない。酸素や二酸化炭素の気体の交換についても、植物と魚をどうつなげていくか、バランスをとるのも難しそう」
このグループで水産養殖の研究の中心を担うのが、東京海洋大学の遠藤雅人准教授。
学生時代から30年近くにわたって、宇宙での魚の養殖実現のために研究を続けてきた。
遠藤准教授がアクアポニックスを利用した養殖に最適だと考えているのが「ティラピア」という魚だ。

ティラピア
アフリカ原産の淡水魚で、水質汚染に強いため育てやすく、成長も早い。
食用として世界各地で養殖され、日本では「イズミダイ」という名前で流通している。淡泊で癖のない味の白身魚だ。
遠藤准教授はこれまで、月面に近い重力を再現した微小重力実験を行い、その環境でも「ティラピア」が生きられることを確かめてきた。

月面に近い重力を再現した実験でティラピアが泳ぐ様子
数回にわたる微小重力実験の結果、地球に比べて重力が6分の1の月面でも、ティラピアは水の中を泳いで餌を食べられることが分かったという。
遠藤准教授
「動物の食用生産としては鳥や豚、牛も考えられますが、魚は、人間と一緒に小さな魚を宇宙に持って行って、地上に持ち帰ってきている実績がある。宇宙での魚類の飼育や繁殖は、日本がリードしている分野でもあります。月面のような微小重力環境だと、陸上の動物は地面に足がつかないので暴れる可能性がありますが、魚は水の中で隔離して飼えるので、安心して養殖生産ができると思います」
まだまだ課題も 目指すは“究極のバランス”
もちろん、月面でのアクアポニックス実現には乗り越えるべきハードルがいくつもある。
最大の課題は水の輸送だ。
アクアポニックスは水を循環して再利用することができる技術だが、最初に必要な水は地球から運ばなければならない。

また、資源の現地調達や輸送が難しい月面のアクアポニックスでは、ほとんど全ての物質が無駄なく循環する究極の「アクアポニックス」が求められる。
例えば、魚の呼吸に必要な酸素と植物の光合成に必要な二酸化炭素をどう循環させるのかなど、課題は多い。
遠藤准教授は、効率的に資源を循環させる“究極のバランス”を目指したいという。
遠藤准教授
「それぞれの物質循環に必要な証拠は出そろっています。あとは、それをいかにバランス良く組み合わせるかというのが勝負どころ。例えば一度植物が枯れてしまうと、排せつ物がたまって魚にも影響が出てくる。そのバランスをいかに取っていくかに注目して研究していきたい」
学生時代から、宇宙での水産養殖にこだわって研究を続けてきた遠藤准教授。
なぜなのか。最後に、その本音を聞くことが出来た。

遠藤准教授
「宇宙でも本来の生活のように肉も食べたいですけど、まずは魚が食べられるような生活が出来たらいいなと。だって、地球を見ながら刺身を食べたいじゃないですか」
現在の月探査計画では、人類がふたたび月に行くのは2027年とされている。
さらに、現地でもアクアポニックスの実証実験が必要になることを考えると、遠藤准教授の夢が実現するのはいつになるのか、見通せないのが正直なところだ。
月面でティラピアの刺身を食べる日はくるだろうか。近年の宇宙開発の進展を考えると、それは気が遠くなるほど未来の話ではないかもしれない。
(1月27日 おはよう日本で放送)

科学・文化部記者
加川直央
2015入局
京都局を経て、2020年から科学・文化部
文化分野の担当を経て、現在は宇宙分野を担当
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